【雑記】大人の対応に関して
昨日コロナウィルスによって、志村けんさんがお亡くなりになりましたね。
筆者はこのニュースを見て、久しぶりに心の病が再発するんじゃないかというくらい驚くとともに悲しみと憤りを感じました。
そんななかSNSでは某国や某機関に対する攻撃的な書き込みが多くありました。
それについて私見と憤りをぶつけます。
まず第一にSNS上における某国や某機関に対する攻撃的な書き込みですが、筆者は大いにやったほうが良いと思います。かくいう筆者も感情の赴くままに投稿してしまいましたし。
なぜかと言うと、ここで感情を抑えてなぁなぁにする意味は全く無いからです。
今回で言うところの志村さんの死。筆者からすると、物心がついて一番最初に笑ったお笑いが志村けんのバカ殿様だと記憶しています。子供ながらに新聞のテレビ欄を見て、バカ殿様が放映される日は、始まるまでにご飯食べて風呂入ってテレビの前にスタンバっていた記憶が鮮明に残っています。大人になってからも必ずでは無いですがやっていたら見ますし、タイミングがわかっていれば録画して見るくらい好きでした。
そのくらい大好きな人が老衰だったり持病で亡くなったのであれば、踏ん切りもつくでしょう。しかし今回は完全に天災ではなく人災であると思っています。たらればではありますが、春節の時点で中国からの海外渡航を制限してWHOとしてあるべき対応を取っていれば、ここまで世界的に流行する病ではなかったはずです。
にも関わらず、バカみたいに海外に移動してばらまいて、アホみたいに楽観視したことでこんな取り返しのつかない事態を引き起こしました。
原因がわかってる以上、
・ここで何かを責めたところで解決しない
・他の国に言われたらどう思うか
などというコメントが散見されましたが、それが何だと返したいです。
人命に重さの違いがあるとは言いませんが、某国の人間が数万人・数十万人・それ以上と志村けんさんの命は釣り合わないと思えるほど偉大な人だと筆者は思っています。
そんな方が人災で亡くなって、大人の対応ができるほど出来ている人ばかりだとは思っていません。
筆者は、
大人の対応 ≠ 我慢すること、
と考えていて、上記で言った大人のコメントをしている人間も内心は腸が煮えくり返っているんじゃないかと思っています。にも関わらず、大人の対応 = 我慢することと認識してしまっているが故に結果なぁなぁのコメントをしてしまっているのでは無いかと邪推しています。
言うべきこと、言いたいことは我慢せずに言わないと、お国によってはそれを真に受けてしまったり、そんなに言ってこないからもっとやっても良いんじゃないかとする国も少なからずあると思います。それは国の教育であったり文化だと思うので否定することは出来ません。だからこそ、大人の対応という名目の我慢や消極的な発言をするのではなく、もっとはっきりとものを言うべきと考えます。
特に特定アジアと言われる国々に関して言えば、建前は捨てて常に攻撃的に責めていかなければいつまで建っても、日本は腰抜けと思われても仕方ないです。もう一度言いますがこれは文化の違いや教育の質によって、同じ発言でも受け取り方は千差万別なので、行間を読ませない・一部のスキもない責めをすべきなのです。
海外でテドロス事務局長の辞任を求める署名活動をしているのがいい例でしょう。海外ではそういった活動をしているのに、国内では「今はそんなことしている場合ではない」「人を責めてもしょうがない」という声がありますが、悪者を作ることによって活気が出るということも事実です。ましてや全ての元凶とも言っても過言ではないので何もしないよりはしたほうが前向きだと感じます。
大人の対応ばかりで我慢するのではなく、やるときはやったほうが自分のためですし、ひいては他人のためになるのではないかと思います。
今回は過激で攻撃的な内容になりましたが、正直この気持ちをどこに向けて良いのかわかりませんし、赤の他人ですらここまで憤るのに身内が亡くなったら、何をしでかすかわからない不安からこのような内容になってしまったのでは無いかと思います。この記事を読んで気を害した方は申し訳ないです。が、書いたことは偽りのない筆者の気持ちです。最後になりますが、ご冥福をお祈りします。
最後までお読みいただきありがとうございました。